(写真:Spherical Image | RICOH THETA)
RICOH THETA:Bone Church, Czech Republic #ivrpa2015
Bone Church, Czech Republic #ivrpa2015 - Spherical Image - RICOH THETA
ファンタジーにでてくる悪魔の神殿のようなデザインですが、これは本物です。しかも、「人骨」で装飾されているどうです。セドレツ納骨堂。チェコ・プラハから東に70キロほどのところにあるようです。写真で見えているのはガイコツのシャンデリアです。とんでもないものを作ったものです。
修道院墓地
山積みされた人骨の様子 伝承によれば、シトー会セドレツ修道院の修道院長であったハインリヒなる人物が1278年、プシェミスル朝のボヘミア王オタカル二世によってエルサレムに使節として派遣された。ハインリヒは帰還に際してゴルゴダの丘の土を手に一杯持ち帰り、その土を修道院墓地に撒いた。このことにより、この墓地は神聖であるとされている。 そのようなわけでこの墓地は中央ヨーロッパ中の知るところとなり、セドレツ周辺のみならず、ボヘミアやポーランド、バイエルンからも埋葬希望者があらわれるようになった。14世紀中頃にはペスト大流行により約3万人がこの墓地に埋葬され、また15世紀のフス戦争では数千人の犠牲者が弔われ、セドレツ墓地はひっきりなしの拡大を余儀なくされていた。約3.5ヘクタールの共同墓地に、無数の死者が埋められた。
教会の建設
15世紀初頭、ゴシック様式の地上1階地下1階建ての教会が墓地の中央に建てられた。教会の建設工事に伴って埋葬者の一部が掘り起こされて亡骸が教会の建物の地下に運び込まれた。それ以来、教会の地下階が納骨堂として用いられるようになった。大きくなりすぎた墓地の規模を縮小するため、教会が完成したあとも死者の掘り起こしが続けられた。この作業は1511年の半盲のシトー会修道士の記録にはじまり、掘り出された人骨は納骨堂に整然と積み重ねられていった。堂内には、全部で約4万人分の人骨が納められた。 シュヴァルツェンベルク家の紋章 1703年から1710年にかけて、イタリア系チェコ人建築家のヤン・ブラジェイ・サンティニ・アイヒェル (Jan Blažej Santini Aichel) によって、教会地上部分と入り口がボヘミア後期バロック様式に改築された。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の改革により、侯爵の家系であったシュヴァルツェンベルク家がこの教会の後見となり、19世紀には教会を購入した。1870年、シュヴァルツェンベルク家はスカリツェ出身の木彫家フランティシェク・リント (František Rint) に尋常ならざる内装制作を依頼した。それは、制作の素材として木材ではなく、納骨堂に納められていた人骨を用いるというものであった。
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